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キリストの弟子

キリストの弟子

 - 心を探る
クスコ゚ーフテヨ: イエスに従う >> キリストの弟子 2
(キリストの弟子 ・ム。シ・ネ1、ォ、鯣ノ、・)

キリストの弟子‐自分の心を探る!
キリストの弟子は継続的に自分の心を探らなければなりません。聖書は私たちに警告しています、“人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう”(エレミヤ17:9)。悪い思いを回心するよう警告しています。私たちの人生を主に明け渡し、また救われているかをどのようにして確信するのでしょうか? 聖書が言っています、“あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分自身で認めないのですか ― あなたがたがそれに不適格であるなら別です”(2コリント13:5)。

だれでも生まれ変わってクリスチャンになると、必ず過去の生活に警告のサインがあったことを認識します:思考だけでなく心も一緒に私たちの欲望を神に明け渡してから、このように考えてみてください、“私の目的と原動力は何か?”だれでも人生に目的があるのですから、私たちは最も重要視する物事と物質に時間を費やすのは必然的です。人生で最も成功しているときは心もウキウキし上手くいかなければ苛立ち果ては落ち込んでしまいます。感情に浮き沈みのある人生は何が原因であるかじっくり探ってみましょう。あなたの原動力は目的の核心に密接に繋がっているはずです。真に生まれ変わったクリスチャンは目的の原動力がイエス・キリストです。偽りのクリスチャンは口でイエスは主と言い、真のクリスチャンは生涯をイエスは主であると告白し続けるのです。

キリストの弟子となるのは虚しい個人の関心ごとではなく、キリストがあなたの人生の中心になってくださるようにお願いし、自我をキリストに明け渡す行為なのです。キリストを優先し、いつもの決まった手段ではなく、真に大切なものをあなたの人生に適応する決心をするならば、主は忠実にあなたの思いを変えてくださるのです。続けて悪い思いが入り込んで来てもがっかりしないでください、あなたの思考は一夜では変わらないからです。神は根気よく時間をかけるようにと言っています。自分の力ではできません。ただ神を信じて主が変えてくださるように願い求めましょう。これは生涯かかる“聖化”のプロセスです。私たちにはキリストの心があるにで、このようにして私たちの心を変えてくださった神を証しすることは喜びの源泉となります。

ローマ7:18 -- 8:14では、自分自身の努力で変えることができないのですから、肉の強い欲望を捨て、神の事柄を選んで日々を歩むように言っています。“肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです”(ガラテヤ5:19−24)。“ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした”(エペソ:21−24)。


キリストの弟子‐御霊の実
 キリストの弟子として、ただ神を知っているのと、事実私たちの魂を救い、思いを新しくしてくださった神に従うのと、そこには大きな違いがあります。聖書はこのように言っています、“さらに、こういう人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか”(ヤコブ2:18−20)。イエス・キリストの恵みによるのではなく、行いによって救われると言う意味でしょうか? 絶対にそんなことはありません。“あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たのではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません、だれも誇ることのないためです”(エペソ2:8−9)。ヤコブは神について知っている人と神に従う人との違いを言っているのです。悪霊どもは神を知ってはいるが、喜んで神に従おうとはしません。一方、クリスチャンは神を知っていて、神に喜んで従います。真のキリスト者の生活は御霊の実である良い行が見られるのです。 次に続く恵みについて記されたエペソ人への手紙を見ましょう。“私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです”(エペソ2:10)。

キリストの弟子 ・レ。シ・ク 3


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