イエスならどうするでしょうか?‐流行かそれとも真の羅針盤か、人生の選択肢
“イエスならどうするでしょうか?”の表示は欧米諸国(またはキリスト教国)の殆んどの人が耳にしているのではないでしょうか。仕事場で職員が飲むコーヒーカップに、前を走る車のバンパーステッカーに、ビル・ボードの上位200に入るキャッチフレースです。なぜこのキャッチフレーズがそんなに人気があるのでしょうか、アメリカの若年層社会に大革命がおきているのでしょうか? それとも“クリスチャンの飾り言葉”としてただ流行に便乗した抜け目のない商売に過ぎないのでしょうか。しかし本当は私たちすべてのひとの人生に必要な問いかけなのです。
イエスならどうするでしょうか?−フレーズの発祥
“イエスならどうするでしょうか?”はミシガン州ホーランドにあるカルバリ・リホーム教会の青年グループから始まりました。教会の“ゼネレーションX”グループが彼らの地域にキリストを伝えるためでした。1896年のチャールズ・シャルダンによる“彼の足跡”から端を発し(その本の中に同じ質問がある)、青年グループはその質問を毎日対応しなければならない選択に適用したのです。実態のあるものとして布で作った簡単なブレスレットで象徴しました。そのブレスレットは、友人、クラスメート、両親、そして町中の人々の注意を引くこととなり、間もなく殆んどの人がそのブレスレットをつけるようになりました。人気が増すと共にブレスレットは大量に市場に出され今日見られる商売の大改革となったのです。
ミシガン州、カルバリ・リホーム教会の青年達による“イエスならどうするでしょうか?”は約2000年前のイエスの教えによって人生が変えられた彼らの問いかけであり、流行、人気、また富とは無関係でした。彼らはイエスの教えで変えられた自分たちの実体を通して地域に影響を与えたかったのです。
イエスならどうするでしょうか?‐どれだけイエスを知っているかにかかっている。
“イエスならどうするでしょうか?”と問いかける前に、どれだけイエスを知っているかについて自分自身に問いかけてください。イエスを知るには、聖書で宣言されているイエスについての人生と教えを読むことから始まります。しかしながら、聖書を文献として読むだけではイエスについて学ぶ助けになるだけです。真にイエスを知るには、個人的と霊的な交わりが必要となります。黙示録3:20でイエスはこのように言いました:
“見よ、わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。”
イエスならどうするでしょうか?この問いかけを真に生きたものとする!
“イエスならどうするでしょうか?”と問いかける前に、“イエスって誰ですか?”と真に問いかけなければなりません。イエスはただ歴史上の人物で良い人間であった、または教師であり予言者であったのでしょうか? または肉体となった神が全人類の罪の為に約2000年前、この地上に来てくださったのでしょうか? イエス御自身が彼の弟子たちに同じ質問をしています。なぜでしょうか? なぜなら、イエスを信じる信仰によって彼らの人生にイエスがどのよう影響するかが重要だったからです(マタイ16:13−17を参照)。同じように、もし私たちがイエスが宣言したすべてと(神が肉体となられた‐‐ヨハネ1:1−3)、この地上でのすべての行いを(私たちの罪の為に死なれた‐‐ヨハネ3:16)信じるなら、イエスは私たちの本当の主であり救い主であると受け入れられるのです。その後イエスは私たちの人生に入り霊によって御自分を現してくださるでしょう。そして“イエスならどうするでしょう?”と言えるのです。
“イエスならどうするでしょうか?”はイエスを知らない人々にとっえは無意味な言葉でしょう。彼らは本当のイエスの人生と教えは知らず、イエスはこうするべきだと言う彼ら自身の人生論と知識でWWJDの(イエスならどうするでしょう、What Would Jesus doの省略)Tシャツやブレスレットを身に着けています。“イエスならどうするでしょうか?”は自己のいのちを明け渡してイエスを本当に信じる者にとっては、人生が変えられるほど力強い言葉です。イエスについてもっと学び、人生を変えてくださる神との関係を築き、朽ちることのない喜びと平安を追い求めましょう!
自分自身に聞いてみる
この情報はあなたのお役にたちましたか?下記のメ[シャルボタンを利用して他の方と共有してくだされば幸いです。
これは何ですか?
私たちに続く
|