霊の戦い:なんですか?
見えない超自然の次元におられるすべての力を支配する神とそれに対抗する悪魔との霊の戦いは現実です。クリスチャンであるならば事実である見えない霊の戦いを見いだすはずです。聖書では多くの箇所で霊の戦いについて述べていますが、特に直接的なパウロの言葉は神の全ての武具を身につけなさいと言うエペ・:12:
″私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。“
霊の戦い:クリスチャンとしてどのように戦うのか?
霊の戦いのイメージは私たち全員が避けて通りたいところです。しかし霊の戦いが現実であるので、適切な戦闘準備をするのが最善です。クリスチャンはこの地上で“困難”を受け入れるだけではありません。エペ・:14−18で戦いのために武具の使用法を明示しているのですから、私たちはこのイメージを現実として捉えなければなりません。
“では、しっかり立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾をとりなさい。それによって、悪い者の放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願を用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。”
神はユニークに武具を羅列した‐“平和の武具”
聖書全体を通じて神の武具を用いて問題に立ち向かう例を見る事ができます。ヨシャパテ王は敵を混乱させる為に神の武具である賛美隊を兵士達の前に行進させました。ヨシュアはエリコの強大な砦を、神の武具である賛美とトランペットを用いて崩壊しました。ダビデが神に信頼したゴリアテとの戦では、スリングショットを用いています。これらの例以外にも多くの例があります。今日の霊の戦も同じように、私たちが悪魔に対抗する武具を備えてくださると神は約束しているのです。
霊の戦い:主にあって強くありなさい
霊の戦いはクリスチャンライフの現実です。しかし最終的な勝利は私たちにあることを忘れないでください。悪魔は既に全部を失いました。ですから自分と一緒に一人でも多くの人々を敗北させるために奔走しているのです:
″終わりに言います。主にあって、その大狽フ力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。″ (エペ・:10−11)
作戦について学びましょう!