クリスチャンのミニストリー‐大切な戒めと大切な任務
クリスチャンのミニストリーを要約すると: 神を崇めて人々に仕え、大切な戒め(マタイ22:36−40)と大切な任務(マタイ28:18−20)に努めることです。大切な戒め:“心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。”これが最初の最も大切な戒めです。同じように大切な第二の戒めは:“あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。”です。そして大切な任務は:それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らに教えなさい。見よ。私は、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
クリスチャンのミニストリー‐愛を注いで奉仕する
従順なクリスチャンとなって神と人々に仕え、愛を注いで神と人に奉仕するのがクリスチャンの任務です。神がこれほど私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです(1ヨハネ4:11)。
クリスチャンのミニストリー‐個人の証し
クリスチャンである私の任務はイエス・キリストと共に始まりました。イエスが最初に私を愛してくれたのだと認識する日まで、私は真の愛の意味をほんとうに理解していませんでした。キリストは私が真に愛した最初の御方であり、彼は私をはじめて“真実の愛”で愛してくださった御方です。今その愛を知ったと同じようにもっともっと彼について知り、彼に似た者となるように、愛のイメージである主イエスを愛し、彼に似た者となるために全力を尽くしています。
私の愛の概念と言えば感情と衝動でありました、しかし愛の概念は、状況に作用されずどんな時にも相手の気持ちを思いやろうとする決断であると認識しています。愛は喜びです。一時的状況はあなたを幸せにはしません。愛は平安であり争いの全くない関係です。愛は忍耐であり待っている間も心は助ェ満たされています。愛は寛容であり決して故意に人を傷つけません。愛は善意であり全く道徳的です。愛は誠実で現実の状況に左右されずに信頼できるのです。愛は柔和であり委ねて仕える心です。愛は自制であり自己の欲望はありません。喜びと、平安と、忍耐と、寛容と、善意と、誠実と、柔和と、そして自制はあらゆる状況下にあっても相互に合い働きます(ガラテヤ5:16‐26)。
しかしながら、愛を強く求めれば求めるほど私の性質が愛するのを拒むのです。なぜなら私の持って生まれた性質が自己中心だからです(エペ・:2−3)。魅力的なものは私の肉の欲望を満足させます(1コリント2:14)。ですから欲望を捨て注意して先の目的を選択し自分自身の罪を克服しなければなりません。口で神を知っていると言いながらクリスチャンの愛がないなら偽善です。偽善とは自分勝手で、利己主義で、意識的な汲ワんです(テトス1:16)。神は私たちが真心から互いに愛するように望まれているのですから、意図的な偽善は神とクリスチャンの任務に相反します。(1ヨハネ3:18)。
ですから、神と人とを愛し、自我を捨てるのが私のクリスチャンとしての任務であり(マルコ2:29−30;ルカ8:23)どんな状況にあっても愛で対応し、神のご性質にあずかる者となるまで変えていただくのです(2ペテロ1:4)。
クリスチャンの任務‐福音を伝える
イエス・キリストの愛を伝えるクリスチャンの任務は、神に逆らう私たちの罪の故に庶嚔ヒの上で、キリストの無償の愛を確かなものとしてくださった‐‐真の神の愛を彼らに教えるのが最大の任務です。実際、私たちが死と復活したキリストを人々に伝えるなら、私たちはキリストの死と復活に関与しているのであり、比類なき最も偉大な愛の行為なのです(ローマ10:9−10)!
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